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世界はフィクションを待っている

Posted by 世界旅行 on 26.2011 日頃のこと 0 comments 0 trackback
 以前から当ブログを見ていただいている方には一目瞭然ですが、テンプレートを変えてイメチェンです。
どうも文章メインのブログになっているので、文字を読みやすくしたかったのですが、以前のテンプレートは字を大きくするとデザインが崩れてしまって難儀してました。なかなか完璧にこれだ!というテンプレートは見つからないのですが、これは読み易いですし目に優しい、ゴールドという色も好きです。アフリカ系フランス人の黒人が金色のネックレスをして白いシャツを着ておしゃれなパンツを履いているのを映画で見て、かっこええ~と思いました。
ナチュラルよりはアンナチュラルで、それでいて以前のようにフィクション性を持っているのを探しました。
フィクションって何かとハッキリ言えないのですが、私がよく読んだ高橋洋「映画の魔」より勝手に抜粋

観客が映画にリアリティを感じるのは、それが現実に根ざしているからではない。作り手の都合を感じさせず、フィクションへと巻き込まれたからである。どんな非現実的なことが起ころうと、それが表現として自立していれば、観客はリアルを感じる。
映画の魔力を呼び出すには、観客の理性を眠らせねばならない。映画の魔力は観客の無意識と響きあうのだ。作り手もまた無意識下(快・不快の原理)に入らねばならないのだが、多くの作り手は無意識下に入ることをおびえ、意識下で納得しようとする。そしてありあまる観念やら美学に頼り、おびえを紛らわせようとする。あるいはひたすら“もっともらしく”しようと現実にすり寄り、リアリズムに足を引っ張られる。
映画とは監督のものでも、脚本家のものでも、スタッフのものでも、俳優のものでもない。誰のものでもない。観客は雷や竜巻と出会うように映画を体験するのだ。映画はただそこに“出現”する。商売のためだった映画が、あるいはアートのためだった映画が、映画それ自体のために存在するという逸脱が起こる。最高度の魔力が発揮される。映画の魔力は、形式という限界と、無意識の欲望の響き合いの中で、人智を超えて発動する。

むむむ、すばらしく乗せる文章を書きますな。
映画に関してこの感覚は分かりますし、これを目指しました。自分は出来なかったかもしれないし、一回出来たかもしれないのですが、家具に関してもこういう本を書いている方がいるならぜひ読んで勉強したいと思ってます。
家具の魔力って何なのか知りたいです。ブランド力?う~ん?


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家具を作って売り家庭を築きハニーと子供を作り育てあと50年は生きるつもりです。

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